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琴となり 下駄となるのも 桐の運

本日は、まさにつぶやきネタ。

今年、サラリーマンになって17年目を迎えている。私が勤めている会社では、(営業とか総務とかといった)同じ業務系列に長く従事するのが一般的で、同期入社の仲間たちの多くが、入社後数年目から今まで同じ業務系列に従事している。

そんな中、私の場合は社内で異例とも思えるほどに全く異なる業務に数年スパンで従事している。総じて他者の評価は自己評価よりも低いものだが、私自身としてはどの業務も人並み程度にこなしている自負がある。一方で、深い知識や経験を得て「この領域では誰にも負けない」という自信を持つには、どの業務も従事する期間が短く、そのレベルに達していないと感じることも事実。長く同じ業務に従事して、それぞれの領域のエキスパートになっている同期入社の仲間たちを心のどこかで羨ましく眺めている自分がいる。

そんな中、ある言葉を目にした。

「琴となり 下駄となるのも 桐の運」

幕末の上総請西藩藩主 林忠崇 の言葉である。この 林忠崇 は「最後の大名」とも呼ばれ、昭和16年(1941年)に没するまで激動の時代を生き抜いた人だそうだ。戊辰戦争が始まり、敗軍となった時の領民や藩士への被害を避けるため、藩主自らが脱藩をしたうえで幕府軍に身を投じ、その後、新政府軍に降伏している。敗軍となる可能性を感じながらも、将軍への忠誠を尽くしたこと、そのような中であっても領民や藩士への配慮ができることなど、何と立派な人物かと学ぶべき点が多い。

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閑話休題。

ややもすれば「もっとひとつの領域を極めたい。そのチャンスが欲しい!」と腐りそうになることもある。もちろん、ここまでの内容だけ見ると「お前、仕事ができないからコロコロ変えられてんだろ!?」とか「そんなことくらいでふて腐れてんじゃねーよ!」と思われても仕方がない。

ただ、私はどの業務であっても日々懸命にやってきた。至近の3年間もまさに「青天の霹靂」とも言える未知の世界で人を知り、業界を知り、力になれるよう私なりに最大限の努力を続けてきたつもりだ。

そんな中、分かっていたことではあるが、異動の時期が近づきつつあるようだ。

不確かな情報によると、至近の3年間で得たものとは全く無縁の業務に就くことになりそうだ。これまでの17年間、こんなことばかりだったのでいい加減諦めれば良いのだが、やはり本音を言えば「何だかな~」と思ってしまう。

こういう心境で出会った言葉。

「琴となり 下駄となるのも 桐の運」

染みた。実に染みた。

桐の木が室内に保管され、時に女性に爪弾かれる美しい琴になるのか、男性の足の下敷きになって屋外で半ば乱暴に扱われるのかは運次第であり、どうすることもできないと。

当時の価値観からすれば、桐にとって琴になることが「運が良い」ことで、下駄になることは「運が悪い」こととして例えられたのだろう。これをそのまま仕事に置き換えてしまうと、「良い仕事」と「そうではない仕事」と捉えられかねないので、この言葉のままに解釈することは相応しくないと思う。

ただ、私としてはこの言葉を「与えられた業務が何であれ、その業務に真摯に向かい最大限のパフォーマンスを発揮しよう。そして大前提として、役割に依らず素晴らしい『桐の木』になれるよう日々の研鑽を怠ってはいけない。」と解釈した。

良くも悪くも何でも屋。これからも長いサラリーマン人生を歩んでいくことになるが、同期入社の仲間とは違う私にしか経験できない歩みを進めていることも事実。何事も捉え方次第で輝くこともあれば、時に曇ることもある。

不惑の年を迎えた私にとって、人生観を変えられるほどの言葉に出会えたことを有りがたく思う。

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